渇いたコラム(byカラカラ山)

ただただ言いたいこと、感じたことをのんびりと。普段はラジオ番組にメールを投稿したりしてます。だいたいどのコラムも1,2分で読めるように心がけて書いております。。。

13.おや、懐かしい顔だね

 

こんにちは〜随分とお久しぶりじゃないですか〜

お久しぶりになったのはこちらの都合(別に特といった都合はない)なのですが、、

 

コロナ自粛、僕は今、実家にいます。茨城のド田舎。まー、田舎です。信じられないほど。

でもね、久しぶりにそんな田舎で4ヶ月弱暮らしてて気付いたことがあるんですよ。人が暖かいって。

 

僕もあんまり言わない台詞です。「人が暖かい」。なんかダサくね?んー、カッコつけてる大学生の戯言だと思ってくださいな。

でもね、そんなダサくね?と思っちゃう僕でも思わず言っちゃうほど暖かいんですよ。

ソーシャルディスタンス、密、人と人のふれあいが形状遮断されてても田舎の人達は心のソーシャルディスタンスを余裕で突破してきます。

 

よくよく考えてみれば昔の僕もそうでした。

小学生の頃、帰り道の工事現場のおっちゃん達。

「あいさつすることはいいことだ。」と小学生の頃に教えられた僕はバカ正直に帰り道に会う全員に元気にあいさつしてました。

あいさつ始めて1週間弱、おっちゃん達が「おー!おかえり!」って言ってくれた時、なんかよく分からない嬉しさがあったなぁ。なんて。

 

話は現在に戻って、、

僕はついこの間まで自動車教習所に通ってました。住んでる市にあるド田舎教習所。東京の教習所から転校という形で来た僕。

最初の乗車教習での怖そうな見た目の教官のフレンドリーさに驚きました。

「いや、休憩時間に煎餅食べてたら、喉詰まっちゃってさ、、!ガハハ、、」おいおい!教官ってこんな感じだっけ?

 

東京の教官、僕の通ってた所だけかもしれませんが、そこの教官は事務的で話もしないし、間違えたら冷静にビシッと指摘されるし、それが「ガハハ!」って!こんな違う??

 

あ、でもね、東京でも暖かい人達もいるんですよ。幼稚園生くらいの子供たちね。

 

僕の何ヶ月か前にしたツイート、覚えてる人もいるのかは分かりませんが、、

 

帰る途中、近所の保育園の子に「お兄ちゃんの髪ってなんでそんな色なのー?お父さんと違うー!」って言われたので「魔法でこうなったんだよ」って言ったら目を光らせて「すっげー!」って言ってくれた。お母さんも後ろでニコニコしてて、ほっこりしちゃった。
#日常のひとコマ

 

なんてツイートをしました。

東京で初の一人暮らし。やさぐれた生活をしてた僕を魔法使いにしてくれたのは紛れもなくあの保育園の子でした。

 

暖かい心。大事。

 

12.僕は賛成派です。

 

どうもカラカラ山です。お久しぶりの投稿です。

お久しぶりなんで今日は「です。ます。」口調で書いてみようと思います。

 

さて、最近僕ら、メールを送るリスナーの中でこんなことが話題になってます。

「自分たちは『ハガキ職人』なのか?」

 

題名の通り僕はこれについて賛成派です。

 

例えば自己紹介をする時、「趣味でラジオ番組にメールを送ったりしてます〜」なんて言うと「へぇ〜ハガキ職人してるんだ〜!」と言ってくれる人がいます。その時に僕は「そうなんだよ〜」と答えます。なんなら「趣味でハガキ職人をやっている」なんて言っちゃう時もあります。

 

ハガキ職人」、職人という言葉が付いてるからこそ名乗りにくいこの名称ですが、僕はこの名前の語感が好きです。世の中なんてそんなもんです。語感がいいからそれでいい。僕はそんな考えで「ハガキ職人」と自分を名乗っています。

 

続いて「ハガキ職人」の定義について。

 

ハガキ職人」と名乗らない人達の話を聞くと「『職人 』と名乗るほど読まれてない。」

などの意見をよく聞きます。

 

確かに。そんな考えもあるとは思います。でもそれで「ハガキ職人」って名乗れないって窮屈すぎやしませんか?

僕は「ハガキ職人」と名乗りたいです。読まれてる数でそれを制限されるなんて以ての外だと思います。

 

僕はラジオ番組にメールを送ってる人は全員「ハガキ職人」だと思っています。

例え1回もメールが読まれていなくても、めちゃくちゃメールが読まれている人でも全員平等に「ハガキ職人」です。

 

偉そうな色々語った僕も決してめちゃくちゃメールが読まれてるわけではありません。

まあ、メールを読まれるためにラジオを聴き始めたら本末転倒なのですが。

 

まあ色々程々にやりましょうよ。

 

ハガキ職人達へ

ハガキ職人より。

 

11.起承転結

 

どのラジオリスナーもメールを送り始めて何ヶ月か経つと1つの問題の壁にぶち当たる。それは「長文のコーナーがムズすぎる問題」である。

 

正直言って送るのが短文でいいコーナーやテーマはめちゃくちゃ楽だし、数打ちゃ当たる感が否めない。しかし長文のコーナーは違う。

 

短文のコーナーの例としては菅田将暉annの「東京ダースーコレクション」、四千ミルクの「四千すごろく」、アルピーdcg「ボイパのコーナー」など。これらは思いついたことをパッとメールに書いて送ればいい。

 

長文のコーナーの例としては菅田将暉annの「ショートシャンクの空に」、アルピーdcgの「LIFE〜人生の話〜」など。これらのメールは思いついたことをパッと書いてできる代物では無い。

 

ではどうやってメールを作るのか…

僕の場合、ネタ探し→大まかな流れ決め→登場人物の名前決め→本書き、というような流れでメールを作る。

それが合っているのか、合理的なのかは分からない。しかし、どんなリスナーさんでも少なからずいくつかの手順を踏んでメールを書いているはずだ。

 

そこで大事になってくるのが起承転結である。これがないと長文コーナーは始まらない。

短文のコーナーに関しては「起承転結」の「結」の部分だけを送っていると考えられるり

 

起結のメールを作るのは簡単だ。だがつまらない。もしくは自分の心の中で完結してしまっている。起承転結の筋立てがムズいのである。

 

前に少し考えたことがある。「起承転」のメールだとか「承転結」のメールだったり、どこか欠けてるのでも面白いのではないかと…

しかしながらそれは上手くいかなかった。単純に僕の技量不足である。

 

やはり、時間はかかるが、起承転結の流れを組んでメールを作るのが正攻法だし、何よりもそういうメールが面白いに決まってる。

 

まあ、何が言いたいって「流れ」って大事だよねってわけ。。

 

 

10.合法的オチツキ方ノススメ

 

僕は異様な人間である。別に中二病とかそういうのではない。じゃあ、何が異様なのか。何を隠そう僕は絶対に落ち込まない人間なのだ。

 

自分の失敗で何かが終わってしまったとしよう。

普通の人ならめちゃくちゃ落ち込み、友達と話したり、泣いたり、怒ったり…まあ、いろいろする状況だと思う。

 

しかし、僕はそんな中でも平常心を保つ方法、いやそういうスキルを持っている。悲しいこと、悔しいこと、キレそうな事があっても平常心でいられる。

 

それがなんなのか?これは僕が生まれながら持つスキル「ポジティブシンキング」またの名を「プラス思考」である。

 

僕はどんな悲しいこと、悔しいことがあっても全てプラスに考えることがというイカれたスキルを持っている。絶対に心が沈まないのだ。

 

僕は悲しんだことがほとんどない。悔しくて泣いたことも。「悲しすぎて何も考えられない…」、「心にポッカリ穴が開いた」なんてことはないのだ。

 

その時の僕の心はどうなっているのか?それは簡単。「ま、そういうこともあるよな。はい、次ー!」である。客観的にこの考えを見て自分のヤバさにたまにゾッとすることもあるが…

 

まあ、これは生まれつきだからしょうがない。

じゃあ、プラスに考えることができない、しづらい時はどうするのか??

 

そんな時にオススメの方法がひとつある。

それは「保険をかける」ということである。

僕はいつからか何をするにも保険をかけるようにしている。ポジティブシンキングなくせして最悪の場合も想定しつつ行動する。

 

ズルいのかもしれない。ひねくれてるのかもしれない。でも僕はそれでも構わない。僕はズル賢くこの世の中に蔓延るストレス、問題をくぐり抜けてるだけだ。そういう奴が最後に生き残るとも思う。

 

保険をかけて生きるのは本当にオススメだ。失敗しても「大丈夫、次があるから。」、「次で挽回すればなんとかなるはず。」といい意味で開き直ることが出来る。

 

この開き直りの腐った根性が大事だと思う。腐った根性で腐った自分にならないようにするのだ。

良薬は口に苦しって誰かが言ってた気がするし。

 

さて、次の準備でもしますかねと…

9.歩く、歩く、ひたすら歩く

 

僕は嵐のワイルドアットハートの「1度きりの人生」というフレーズがとても気に入っている。

いつからか、僕はとりあえず出来ることはなんでも挑戦し、体験するようになった。

 

そんななんでも体験する中で意外な自分を発見することがある。

 

例えばオシャレが好きな自分。

思春期になって避けては通れない道なのかもしれないが、男子はオシャレに気を使い始める。

僕にももちろんその時期は訪れたわけで、色んなファッションをとりあえず「体験」してみた。

カジュアル系、フォーマル系、ストリート系、サブカル系…

 

色んなファッションを体験していく中でずっと普通のファッションをしてきた僕は意外にも自分が派手な服が好きなことに気付いた。

それからというものの僕は派手な服を良く着る。

蛍光色の目立つジャケット、真っ黒なシャツにペンキをぶちまけたようなデザインのシャツ、サイケデリックなTシャツ…どれを着ていても気持ちがいい。

 

もう1つ、最近気付いた自分がある。

それは「歩くのが好きな自分」である。

 

これは本当に意外だった。

僕は幼少期歩くことが死ぬ程嫌いだった。どこへ行くにも親に車で連れて行ってもらうか自転車で行っていた僕がふと東京の街中を歩いた時に気付いた自分だ。

 

歩くのは楽しい。

電車や車では見られない景色がそこでは見られる。こんな所にこんなものが!?といった発見ができる。

 

僕の休日の散歩は10km〜20kmの距離を基本歩く。

約5駅強の道のり。

歩いている途中で地図を確認する。

「近くに〜がある。行ってみるか。」

そこでまた新たな体験をする。

新しい景色を見る。

その土地の風土に触れる。

 

この散歩なのかウォーキングなのかわからないものを初めてから僕の人生はかなり豊かになった。

 

次は何を体験しようか…

そんなことを考える。 1度きりの人生転がるように生きていられているだろうか。

8.100面相...?

 

誰しも人間は様々な顔を持ってると思う。

僕も大まかに分けて、少なくとも3つの顔を持っている。

 

1つ目は本名の時の顔。大学にいる時、家族といる時、友達といる時などはこの顔だ。この顔の時の僕はなるべく普通の人、一般人であるように心がけている。可もなく不可もなく、そういう顔だ。

 

2つ目は「カラカラ山」の顔。ラジオにメールを送る時、このコラムを書いている時、観覧やイベントなどでハガキ職人に会う時はこの顔だ。この時はわりかし素顔の自分に近い。ありのままの自分をさらけ出さないとメールを僕は送れない。

 

そして最後、3つ目はラップをしている時「DーM」としての顔だ。これはサイファーに行ったり、サークルに行ったりしている時はこの顔だ。この顔が1番クールぶってるし、1番カッコつけてると思う。

 

さて、大まかに3つの顔を述べた訳だがこの顔、たまに混在する時がある。例えば大学のラジオ好きの友達と話している時だ。僕はラジオ好きな友達には自分のラジオネームを言っている。そういう人たちには隠さなくても自分に害がないからだ。

他にもラップ好きの友達と話す時、ラップ好きなリスナーさんと話す時、ラジオ好きのラッパーと話す時など、いくらでも増やせる。

 

さらに細かく分ければ本名の時でもこの人と話す時はこんな感じで話して、あの人とはこう話して、この2人と話す時はこうで、この3人と話す時は…などなど無限に考えられる。100面相なんか比じゃないくらいだ。

 

このことを意識し始めてからたまに自分が今どの顔なのかわからなくなってくる。多分、日々新たな顔を生み出しているのだろう。減ることは滅多にない。減っているように見えて心の中にその顔は潜んでいる。

なるべく暗い顔は隠したい。人に良いと思われる、印象の良い顔を増やしたい…

 

そんなことを思いつつ、僕はコラムニスト(仮)の顔をまた今日も心の中にそっとしまった。

 

 

 

 

7.一瞬でいいから

 

ガールズバンドSHISHAMOの「恋する」という楽曲の歌詞にこんなのがある。

 

一瞬でいいから私のこと女の子だと思って接してみてよ  SHISHAMO「恋する」より

 

僕はこの歌詞の意味が全くもって分からない。

僕は女性経験が少なく、女性のことは女性としか見れない。どんな女の子だとしても女の子だと思ってしか接せられないのだ。 

僕は女性と仲良さそうにする男性(付き合ってはいない)を見ると心の中では「下心丸出しじゃねぇか!」とつっこんでしまっていた。

 

と長々語ったが、それも最近までの話だ。

僕は大学生になって毎週水曜日にFM-FUJIで放送されている「四千ミルク」という番組の観覧にほぼ毎週行っている。

最近人気急上昇中の3人組のお笑い芸人「四千頭身」がパーソナリティをする番組。もちろん四千頭身のファンも来るわけだがまぁ女の人が多い。

最初に観覧に行った時は僕は萎縮してしまった。だが僕のラジオネームを名乗ったらミルキッズ(この番組のリスナーのこと)が暖かく迎え入れてくれた。

 

そこからだろうか。僕は徐々に四千頭身ファン、リスナーの女性(ミルガール)とも話しはじめ、「あれ、意外といけるじゃん…!」と思い始めたのだ。

四千ミルクの観覧がなかったら前回に書いた仲のいい女の子も出来なかっただろう。(なんか最近喋ってないけど。)

 

人間にはいろんなタイプがある。いろんなタイプがある中でも僕は難しいタイプの人間だと思う。何が難しいというときっかけがないと動かないのだ。いや、動けないのだ。女性と話せなかったことは解消されたけどまだまだ解消された無いことも沢山ある。

 

一時期はきっかけ無しで動ける人間になろうとも思ったが今はきっかけを必死に探してる。また余裕が出来たらきっかけ無しで動ける人間をめざすかもしれないが…